ココリコ田中直樹さん演じる九条兼実とは?

九条兼実

ココリコ田中直樹さん演じる九条兼実とは?

ココリコの田中直樹さんが、本日2022年4月10日放送の「頼朝殿の13人」で、九条兼実役を演じるということで、九条兼実という歴史上の人物について調べてみました。

     

Googleマップより九条兼実の墓のある東福寺画像

      

九条兼実(くじょうかねざみ)
1149年の平安末期、摂政である藤原忠通の六男として誕生。
異母姉である皇嘉門院の猶子(養子)となり、元服後に左近衛権中将に任ぜられる。
その後の1160年には従三位となり、公卿となる。
保元の乱による摂関家の内紛で、摂関家は力が衰えるが、学問に力を入れていた兼実の知見が認められ昇進する。
平清盛による後白河法皇へのクーデターである治承・寿永の乱の後にも、公事に精通する兼実は、清盛によって重用されるようになる。
清盛の死後、後白河院の院政になると、兼実は権力の中枢から、身を一定の距離置くようになる。
義経と頼朝の争いのさなかの1186年、頼朝からも知見を頼りにされた兼実が、頼朝の推薦などにより藤原長者の摂政となる。
頼朝の後ろ盾により、摂政に続き関白をしていた兼実だったが、後白河上皇崩御後の後鳥羽上皇や貴族らの反発および頼朝が後ろ盾を続けられない状況とが重なって、1196年関白から失脚する。
その後は政治に戻らず、出家などをして、摂政だった次男の急死翌年にあたる1207年4月5日に59歳で死亡する。

墓所は、偃月橋や通天橋などで有名な京都の東福寺。

     

地図(京都・東福寺)

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