『どうする家康』ゆかりの場所
2023年1月8日、NHK大河ドラマ『どうする家康』が始まりました。そこで、家康ゆかりの地について調べてみました。
*超メジャーな江戸城、日光などは外してあります^^;
愛知県岡崎市
岡崎は家康生誕の地です。1542年、家康は岡崎にある岡崎城内で生まれました。
岡崎市サイトの岡崎城案内
家康生誕の場所である岡崎城
名古屋
家康は、今川家の人質になる前、今川の人質としての護送中に家臣戸田城主の裏切りによって、織田家に奪われ名古屋織田家の人質になっていました。
岐阜駅前の金の信長像
天下人になった家康が築城した名古屋城
静岡市(駿府)
今川家の人質時代と天下統一後、将軍職を秀忠に譲って大御所になってから亡くなるまで過ごした駿府。家康ゆかりの駿府城、久能山東照宮の他にもいろいろゆかりの場所があります。
興津清見寺ホームページ
駿府城公園ホームページ
久能山東照宮ホームページ
静岡市街地から離れた静岡市清水地区には、今川家の人質時代、静岡市街地近くの臨済寺とともに家康が人質として雪斎に教えを受けて、幼少時代をすごした興津清見寺(駿府)という今川家ゆかりの寺院があります。
静岡市清水区の興津清見寺(Googleストリートビューより)
静岡市街地にある家康ゆかりの駿府城(Googleストリートビューより)
家康がまつられている久能山東照宮の石碑
久能山東照宮の階段途中から見た駿河湾
久能山東照宮にある家康お手植えの実割梅
静岡県浜松市
浜松は、家康が天下人になる前の17年間すごした重要な場所で、浜松城は天下人になった家康が将軍になる前や江戸時代以降の老中といった幕府重要職が幕府の重職につく前に城主として赴任した城として、出世城と呼ばれています。
また家康の正室の築山殿(瀬名)が殺害されたり、家康の長男信康が自害したりした土地でもあります。
指定管理者の遠鉄アシストによる浜松城ホームページ
浜松城
大通りをはさんで浜松城の東向かいにある元城東照宮には、徳川家康像と豊臣秀吉像があります。
最初、家康はこの元城東照宮のところに浜松城を建てたのですが、その後、西側の三方原台地の上に浜松城を移しました。
ここ元城東照宮のある場所に建っていた旧浜松城は、その後、古城と呼ばれ、浜松城の倉庫のような形で使われたようです。また豊臣秀吉も子供の頃、浜松の武家(浜松市南区頭陀寺の松下家)で奉公していました…
浜松市による元城東照宮紹介
浜松市による三方原古戦場紹介
浜松市による犀ヶ崖で行われる遠州大念仏紹介
元城東照宮の家康と秀吉の像
現在は浜松市営墓地の三方原古戦場跡地の一つ(Googleストリートビューより)
三方原古戦場跡地の一つ犀ヶ崖で行われる遠州大念仏
浜松市にある浜松医療センターの駐車場脇には、家康の命令(織田信長が家康に命じた)で築山殿(瀬名姫)を斬った家康家臣・野中重政が、築山殿の血の付いた刀を洗ったと伝わる太刀洗の池跡があります。
太刀洗の池跡
浜松市北部の天竜区二俣には、家康と築山殿の間に生まれた家康の長男信康が、家康の命令(織田信長が家康に命じた)で自害した二俣城址があります。
浜松市による二俣城紹介
二俣城入口の看板
石垣だけが残る二俣城址
静岡県藤枝市
静岡県藤枝市にある田中城で、家康は茶屋四郎次郎に供された大好物である興津の甘鯛の天ぷらを食べたのが元で亡くなったと言われています。
藤枝市による田中城紹介
田中城の本丸櫓(現在は元の位置からやや離れた場所に移築されている)