芥川賞作家 西村賢太さんの経歴は?死因は?


芥川賞作家 西村賢太さんの経歴は?死因は?

自分の体験を元にした私小説『苦役列車』で芥川賞を受賞した作家の西村賢太さんが、2022年2月5日の朝、東京都内の病院で亡くなりました。

そんな西村さんの経歴や死因などについて調べてみました。

       

最初に、西村さんの経歴です。

出身地:東京都江戸川区春江町
生年月日:1967年7月12日
最終学歴:町田の公立中卒

西村さんの実家は、祖父の代から続く運送業を零細ながらも営んでいました。

ただ、西村さんの父親が高級な外車を数年ごとに買い替えていたことから、零細とはいえ、そこそこ裕福だったと思われます。

その後、西村さんの父親が強盗強姦事件で刑務所に収監されることになり、それが元で両親が離婚し、姉母と共に10歳前後から母子家庭で育つことになったようです。

中学卒業後、西村さんは家を出て、港湾労働や警備員などの肉体労働で生計を立てていきました。

そして、16歳ごろから、神田の古書店に通いだし、文学への興味を深めていきました。

20歳を過ぎた頃に、藤澤清造の作品と出会い、徐々に段々と傾倒していって、作家としての下地が出来ていったようです。

そして、35歳を越えた2003年に本格的な作家活動を開始し、翌年には小説が同人雑誌『文學会』の下半期優秀作に選ばれ、活動開始から3年目の2006年には早くも芥川賞や川端康成賞などの候補に選ばれました。

その後、野間文芸新人賞を受賞したり、芥川賞候補に何度も挙がったりしながら、2011年『苦役列車』で芥川賞を受賞しました。

また芥川賞受賞時の発言などから、型破りで個性的なところが話題になり、作家としてだけではなく、情報番組に文化人タレントとして登場したりもしました。

      

次に、西村さんの死因です。

メディアでの報道によると、2022年2月4日の夜、タクシー乗車中に意識不明となり、運ばれた東京都内の病院で心停止して亡くなったようです。

こちらに関しては、コロナによる心筋梗塞ではないかなどの予想がされていますが、実際のところはまだ分かっていません。

ただネット上には、独り身で破天荒な性格から不摂生な生活になっていたことや、痛風などの持病があったなどという情報があり、その辺りが関係してるかもしれません。

とにもかくにも新たな情報が入り次第、追加したいと思います。

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