西村京太郎さんは、生涯で何冊のミステリーを書いた?
2022年3月3日、西村京太郎さんが肝臓がんのため、自宅がある湯河原町の病院で亡くなりました。享年91歳。
西村京太郎さんと言えば、時刻表トリックを駆使した、多くのトラベルミステリーを、精力的に執筆されたことでも有名です。
また、湯河原町のご自宅近くの記念館に行くと、運が良ければ、西村京太郎さん本人とも会えることで有名でした(結構頻繁に会えたとも聞きます)。
そんな、西村京太郎さんは生涯で何冊のミステリーを書いたのでしょうか?
最初に、西村京太郎さんのプロフィールです。
本名:矢島 喜八郎
生年月日:1930年9月6日(2022年3月3日没・享年91歳)
出身:東京都品川区
住居:1996年に脳こうそくで倒れたのを機に、神奈川県湯河原町に移住
学歴:東京府立電気工業学校(現在の東京都立鮫洲工業高等学校)
職歴:高校卒業後、現人事院、トラック運転手、私立探偵などを経て、作家活動に入る
また学歴は、工業高校卒となっていますが、100倍の倍率を乗り越えて陸軍幼年学校などにも入っていて、戦争が終わっていなければ、今の防衛大にあたる陸軍士官学校や陸軍大学まで行っていたことと思われます。
西村京太郎さんの作品で有名なのは、やはり十津川警部シリーズの十津川警部と亀井刑事に三浦警部、そして私立探偵ものの左文字進ですね。
十津川警部も左文字進も、1970年代には登場している定番人気キャラです。
そして調べたところ、西村さんの長編・短編を除いた作品は、1964年の『四つの終止符』から2022年の『土佐くろしお鉄道殺人事件』までの58年間で約650弱の作品があることが分かりました。
(これら以外にも多くの執筆作品を出しています。)
すごい作品数ですね。
あれだけの作品を、それだけ書き上げるなんて、かなりの頭脳と筆の速さが無ければ、達成できません。
また、時刻表トリックを書くための現地調査も、自分の足でち密に取材調査されていたそうです。
100倍の倍率を乗り越えて、当時のエリート校の陸軍幼年学校に入るなどした、頭も良く体力もある文部両道な方だったからこそ出来た偉業なのだと思います。
最後に、西村さんが執筆した全ての作品は、一切ワープロやパソコンを使わず、手書きだったとのことです。
そちらも大変な驚きです。まさに時代に名を残す大作家ですね。